原文
桓宣吉、与其弟香寔俱事太祖、有翊戴功。太祖拝宣吉馬軍将軍、委以腹心、常令率精鋭宿衛。其妻謂曰、「子才力過人、士卒服従、又有大功、而政柄在人、可不懊乎」。宣吉心然之、遂陰結兵士、欲伺隙為変。馬軍将卜智謙知之密告、太祖以跡未形不納。一日、太祖坐殿、与学士数人商略国政。宣吉与其徒五十余人持兵、自東廂突入内庭、直欲犯之。太祖策杖立、厲声叱之曰、「朕雖以汝輩之力至此、豈非天乎。天命已定、汝敢爾耶」。宣吉見太祖辞色自若、疑有伏甲、与衆走出。衛士追及毬庭、尽擒殺之。香寔後至、知事敗亦亡、追兵殺之。
又徇軍吏林春吉者、青州人、与州人裴忩規、季川人康吉・阿次、昧谷人景琮謀反、欲逃帰青州。智謙以聞、太祖使人執訊之。皆服、並令禁錮。唯忩規知謀洩乃逃。於是、欲尽誅其党。青州人玄律奏、「景琮姉、乃昧谷城主龔直妻也。其城甚固、難以攻抜、且隣賊境。若或誅琮、龔直必反。不如宥以懐之」。太祖欲従之。馬軍大将軍廉湘進曰、「臣聞、景琮嘗語馬軍箕達曰、『姉之幼子、今在京師、思其離散、不堪傷情。况観時事乱、靡有定会。当伺隙、与之逃帰』。琮謀今果験矣」。太祖大悟、便令誅之。
書き下し
桓宣吉、其の弟香寔と与に、俱に太祖に事へ、翊戴の功有り。太祖 宣吉に馬軍将軍を拝け、以て腹心に委ね、常に精鋭を率ゐて宿衛せしむ。其の妻 謂ひて曰く、「子 才力人に過ぎ、士卒服従し、又た大功有り、而るに政柄人に在り、懊まざるべけんや」と。宣吉 心に之を然りとし、遂に陰かに兵士を結び、隙を伺ひて変を為さんと欲す。馬軍将卜智謙之を知りて密告すれども、太祖 跡の未だ形れざるを以て納れず。一日、太祖 殿に坐して、学士数人と与に国政を商略す。宣吉 其の徒五十余人と与に兵を持し、自ら東廂より内庭に突入し、直ちに之を犯さんと欲す。太祖 策杖して立ち、声を厲して之を叱りて曰く、「朕 汝輩の力を以て此に至ると雖も、豈に天に非ざらんや。天命 已に定る、汝 敢へて爾るか」と。宣吉 太祖の辞色自若たるを見て、伏甲有るを疑ひ、衆と与に走り出づ。衛士 追ひて毬庭に及び、尽く擒らへて之を殺す。香寔 後れて至り、事の敗るるを知りて亦た亡ぐれども、追兵 之を殺す。
又た徇軍吏林春吉なる者、青州の人にして、州人の裴忩規、季川の人 康吉・阿次、昧谷の人 景琮と与に謀反し、逃げて青州に帰らんと欲す。智謙 以て聞するに、太祖 人をして執らへて之を訊はしむ。皆 服し、並びに禁錮せしむ。唯だ忩規のみ謀の洩るるを知りて乃ち逃ぐ。是に於いて、尽く其の党を誅せんと欲す。青州の人 玄律奏す、「景琮の姉、乃ち昧谷城主龔直の妻なり。其の城 甚だ固く、以て攻め抜くこと難く、且つ賊の境に隣る。若し或いは琮を誅せば、龔直 必ず反せん。宥して以て之を懐くに如かず」と。太祖 之に従はんと欲す。馬軍大将軍廉湘 進みて曰く、「臣聞く、景琮 嘗て馬軍箕達に語りて曰く、『姉の幼子、今京師に在り、其の離散を思ふに、傷情に堪へず。况んや時事の乱るるを観るに、定会有ること靡し。当に隙を隙ひて、之と与に逃げ帰るべし』と。琮の謀 今果たして験せり」と。太祖 大いに悟り、便ち之を誅せしむ。
現代語訳
桓宣吉は弟の桓香寔とともに太祖に仕え、〔太祖を〕補佐し、〔君主に〕推戴する功績を立てた。太祖は桓宣吉を馬軍将軍に任命して腹心とし、常に精鋭部隊を率いて宿衛させた。その妻(=桓宣吉の妻)が言った。「あなたは才能と力が人より優れ、兵士たちが服従し、大きな功績も立てたのに、政治の権力は他人の手にあります。どうして悔しくないことがありましょうか?」。桓宣吉も心の中でその通りだと考え、ついに密かに兵士たちを集結させ、隙を見て変乱を起こそうとした。馬軍将の卜智謙がこれを知って密かに報告したが、太祖は証拠がまだ現れていないとして受け入れなかった。ある日、太祖が正殿に座って数人の学士たちと国政を議論していると、桓宣吉が部下50余人とともに武装し、東の側殿から中庭に突入し、ただちに〔太祖を〕害そうとした。太祖は杖をついて立つと、声を荒らげて叱責し、「朕は諸君らの力で王になったとはいえ、どうして〔これが〕天命ではないと言えようか?天命はすでに定まっているのに、お前はどうしてこのようなことをするのか?」と言った。桓宣吉は太祖の言葉と顔色が冷静であるのを見て、伏兵がいると思い、部下たちとともに逃げた。〔太祖の〕護衛兵たちが毬庭まで追撃し、〔そこで〕全員捕らえて殺した。桓香寔は〔現場に〕遅れて到着し、事が失敗したことを知ってやはり逃げたが、追撃の兵に殺された。
また、巡軍吏の林春吉という者は青州の人で、青州の人 裴忩規、季川の人 康吉・阿次、昧谷の人 景琮とともに謀反して、青州へ逃亡しようとした。卜智謙がこの事実を告げると、太祖は彼らを逮捕して取り調べさせた。皆自白したので、全員収監させたが、裴忩規だけは謀反が漏れたことを知って逃亡した。このとき、その一味を皆処刑しようとしたところ、青州の人 玄律が〔進み出て〕、「景琮の姉は昧谷城主の龔直の妻です。昧谷城は非常に堅固で、攻めて陥落させるのが難しく、また敵の領地にも近いです。もし、景琮を処刑すれば、龔直が必ず反乱を起こすでしょう。〔罪を〕赦して懐柔するしかありません」と申し上げた。太祖はその言葉に従おうとした。〔ところが、〕馬軍大将軍の廉湘が進み出て、「臣が聞くところによりますと、景琮はかつて馬軍の箕達に対して、『姉の幼い息子が今、都にいる。〔親子が〕互いに離れていることを思うと、胸の痛みに耐えられない。ましてや、〔世の中の〕時局が乱れていて、〔親子が〕会う約束をすることもできない。〔そこで、〕機会をうかがって、〔私は〕その子とともに逃げて青州へ帰らなければならない』と語ったといいます。景琮の陰謀は、今まさに証明されました」と申し上げた。太祖は深く悟り、ただちに彼らの処刑を命じた。
原文出典
- 国書刊行会編『高麗史』第3、国書刊行会、1909年、p.596
