『高麗史』現代語訳 巻88、列伝1、后妃、文和王后金氏

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原文

文和王后金氏、善州人。贈侍中元崇之女。初称延興宮主、或称玄徳宮主。生貞元王后。顕宗二十年四月、封為大妃。九月、贈元崇特進・守大尉兼侍中・上柱国・和義郡開国侯、食邑一千五百戸、母王氏和義郡大夫人、祖光義尚書左僕射・上柱国・和義県開国伯、食邑七百戸、祖母金氏和義郡大夫人。后薨、謚文和王后。

書き下し

文和王后金氏、善州の人なり。侍中を贈らるる元崇のむすめなり。初め延興宮主と称せられ、或ひは玄徳宮主と称せらる。貞元王后を生む。顕宗二十年四月、封ぜられて大妃と為る。九月、元崇に特進・守大尉兼侍中・上柱国・和義郡開国侯、食邑一千五百戸、母王氏に和義郡大夫人、祖光義に尚書左僕射・上柱国・和義県開国伯、食邑七百戸、祖母金氏に和義郡大夫人を贈る。后 薨ずるに、文和王后を謚す。

現代語訳

文和王后金氏は善州の人で、侍中に追贈された金元崇(キム・ウォンスン)の娘である。初めは、延興宮主と呼ばれたり、あるいは玄徳宮主と呼ばれたりしていた。元貞王后(1)を産んだ。顕宗20年(1029)4月に、大妃に冊封された。〔同年の〕9月には、〔顕宗が王后の父である〕金元崇に特進・守太尉兼侍中・上柱国・和義郡開国侯と食邑1,500戸を授け、母の王氏には和義郡大夫人、祖父の金光義には尚書左僕射・上柱国・和義県開国伯と食邑700戸を、祖母の金氏には和義郡大夫人を追贈した。王后が薨ずると、諡号を文和王后とした。

注釈

(1)元貞王后:原文は「貞元王后」だが、「元貞王后」が正しい。『高麗史』巻88、列伝1、后妃、元貞王后条には、「顕宗元貞王后金氏成宗之女(顕宗の〔后妃である〕元貞王后金氏は成宗の娘である)」とあって、「元貞王后」が正しい表記であることが分かる。

原文出典

国書刊行会編『高麗史』第3、国書刊行会、1909年、p.5。

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この記事を書いた人

・歴史学を専攻する大学院生。
・専門分野は朝鮮古代史と中国唐代史。
・韓流時代劇が大好き。
 
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