『高麗史』現代語訳 巻123、列伝36、嬖幸1、庾行簡(ユ・ヘンガン)

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原文

庾行簡、父稟廉衛尉少卿。行簡姿美麗、穆宗嬖愛、有竜陽之寵。驟遷閤門舎人。毎宣旨、必先問行簡、然後行。由是、怙寵驕蹇、軽蔑百僚、頤指気使、近侍視之如王。知銀台事左司郎中劉忠正、本渤海人。無他技能、亦甚寵於王。王嘗以水房人吏、分属二人、出入騶従、僭擬無極。王不予、行簡・忠正並直宿於内。宰臣請入寝問疾、行簡伝旨曰、「体気漸平、取別日召見」。宰相再請不許。王欲迎大良院君為後、行簡欲不迎立。王慮事洩、戒蔡忠順勿令行簡知之。及康兆作乱、殺行簡等七人。

書き下し

庾行簡、父の稟廉は衛尉少卿なり。行簡 姿美麗なれば、穆宗 嬖愛し、竜陽之寵有り。(には)かに閤門舎人に遷る。宣旨毎に、必ず先に行簡に問ひ、然る後に行ふ。是に由りて、寵を(たの)みて驕蹇にして、百僚を軽蔑し、頤もて指し気もて使ふ。近侍 之を視ること王の如し。知銀台事 左司郎中劉忠正、本渤海人なり。他に技能無けれども、亦た甚だ王に寵せらる。王 嘗て水房の人吏を以て、二人に分属すれば、出入の騶従、僭擬極まりなし。王 予ならず、行簡・忠正 並びに内に直宿す。宰臣 寝に入りて疾を問はんことを請ふに、行簡 旨を伝へて曰く、「体気漸く平らかなり、別日を取りて召見せん」と。宰相 再び請へども許さず。王 大良院君を迎へて後と為さんと欲するに、行簡 迎へ立てざらんと欲す。王 事の洩るるを(おもんばか)り、蔡忠順に戒めて行簡をして之を知らしむること勿からしむ。康兆の作乱に及び、行簡等七人を殺す。

現代語訳

庾行簡(ユ・ヘンガン)の父・庾稟廉(ユ・プンニョム)は衛尉少卿〔の官職に〕就いていた。庾行簡は容姿端麗で美しかったため、穆宗は〔彼を〕深く愛し、男同士の性愛関係を結んだ。にわかに昇進して閤門舎人となり、〔王が〕宣旨を下す際には必ず、まず庾行簡に相談してから実行した。このため、〔庾行簡は〕寵愛を頼みに傲慢になり、文武百官を軽蔑し、顎で人を指図し、顔色や態度だけで人を動かした。近侍たちは彼が王であるかのように接した。知銀台事 左司郎中の劉忠正(ユ・チュンジョン)は、もともと渤海の人で、ほかに技術や才能がなかったにもかかわらず、王から大きな寵愛を受けた。王は常に水房(=宮中の下役人)の人吏を二人(=庾行簡と劉忠正)に分けて所属させたため、出入りの際に付き従う者たちが〔二人の〕身の程に合わないこと極まりなかった。王が病床に伏すと、庾行簡と劉忠正が共に宮中で宿直した。宰臣が〔王の〕寝所に入って見舞いを申し出ると、庾行簡は王の意思だと言って、「気力が次第に平穏になってきているので、別の日を定めて呼ぼう」と伝え、宰相が再び〔見舞いすることを〕要請しても許可しなかった。王は大良院君を迎えて後継者にしようとしたが、庾行簡は〔大良院君の〕擁立を望んでいなかった。〔そこで、〕王は事が漏れることを憂慮し、蔡忠順(チェ・チュンスン)に庾行簡がこのことを知ることのないように、用心するように命じた。康兆(カン・ジョ)が乱を起こしたとき、庾行簡ら7名を殺した。

原文出典

  • 国書刊行会編『高麗史』第3、国書刊行会、1909年、p.528
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この記事を書いた人

・歴史学を専攻する大学院生。
・専門分野は朝鮮古代史と中国唐代史。
・韓流時代劇が大好き。
 
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