韓国ドラマ『武神』に登場するキム・ヤクソン。
ドラマでは、崔瑀(チェ・ウ、都房の最高権力者)の娘ソンイと結婚し、崔瑀の跡継ぎとして都房の次期最高権力者になることを期待された人物でした。
都房のメンバーの中では、とりわけ、キム・ヤクソンは性格が温厚で、優しい印象が強い人物でしたね。ドラマを見ていて好感度が高かった方も多いのではないでしょうか。
そんなキム・ヤクソンですが、実在した人物なのでしょうか?
結論から言いますと、キム・ヤクソンは実在した人物です。
この記事では、キム・ヤクソンの生涯について、史実に基づいて解説していきます。
後半では、ドラマ『武神』で描かれるキム・ヤクソンと史実の違いも解説しております。
金若先(キム・ヤクソン)の詳細
金若先(キム・ヤクソン)の基本情報
姓名:金若先(キム・ヤクソン)
出生日:不明
死亡日:不明
最終官職:枢密院副使
諡号:荘翼
家族構成
父:金台瑞(キム・テソ)
祖父:金鳳毛(キム・ボンモ)
弟:金起孫(キム・ギソン)、金慶孫(キム・ギョンソン)
配偶者:崔氏(チェシ)
子:金敉(キム・ミ)
娘:金氏(キムシ)
金若先(キム・ヤクソン)の生涯
ここでは、高麗の歴史書である『高麗史』と『高麗史節要』に基づき、金若先(キム・ヤクソン)の生涯をたどります。
生い立ち
金若先(キム・ヤクソン)の生い立ちについては記録がなく、詳しいことはわかりませんが、その祖先は新羅王室の出身だったといいます。
祖父の金鳳毛(キム・ボンモ)、父の金台瑞(キム・テソ)は、いずれも高麗朝において重職を歴任した人物でした。
金若先の娘が太子妃となる
1219年までに、金若先は崔瑀(チェ・ウ、ときの武臣政権の最高権力者である崔忠献の子)の娘と結婚します。
この頃、武臣政権の最高権力者であった崔忠献(チェ・チュンホン)が病床に伏していたので、崔瑀は婿である金若先を送り、その看病をさせたといいます。
1235年、金若先の娘が高麗王室に迎え入れられ、太子の妃となります。しかし、子を産むと、妃はまもなく亡くなってしまいます。
このときの高麗王は高宗(第23代王、在位:1213-1259)でした。金若先の娘が嫁いだ太子とは、高宗の子で、のちに第24代王となる元宗です。また、金若先の娘と太子との間に生まれた子は、のちに第25代王となる忠烈王です。
少女との私通
その後、金若先(キム・ヤクソン)は、崔瑀(チェ・ウ)の屋敷にいた少女たちを望月楼の牡丹房という場所に集め、淫らなことをしてしまいます。
金若先の妻(崔瑀の娘)は嫉妬し、このことを崔瑀に訴えて、さらに「私は家を捨てて尼僧になります」と言いました。
これを聞いた崔瑀は、すぐに金若先と私通した少女たちを島流しにし、望月楼と牡丹房を取り壊しました。
妻の訴えにより無実の罪で死ぬ
一方で、金若先(キム・ヤクソン)の妻のほうも、かつて奴隷と私通した過去を持っていました。
金若先がこの事実を知ると、妻はそれが知れ渡ることを恐れてか、金若先のことを別の事件(詳細不明)にかこつけて、崔瑀(チェ・ウ)に訴えました。
この訴えを受けた崔瑀は、金若先を殺してしまいます。
しかし、しばらくして、妻の訴えはでっち上げで、金若先は無実であったことが明らかになります。
真実を知った崔瑀は、嘘の訴えをした金若先の妻、すなわち自分の娘を遠ざけ、ついに死ぬときまで会いませんでした。
そして、崔瑀は無実が明らかになった金若先に、荘翼(チャンイク)という諡号を追贈しました。
ドラマ『武神』と史実の違い
※以下、ドラマのネタバレ注意です。
教定別監には就いていない
ドラマ『武神』では、金若先(キム・ヤクソン)が教定別監(武臣政権の最高政治機構における長)に就任していますが、高麗の歴史書である『高麗史』や『高麗史節要』からそのような事実は確認できません。
金若先の官位・官職については、あまり詳しいことが記録されておらず、1219年時点の官職が「将軍(武官)」、1235年に「知奏事(文官)」、最終官職が「枢密院副使(文官)」であったことぐらいしかわかりません。
少女との私通について
『高麗史』によれば、金若先(キム・ヤクソン)は崔瑀(チェ・ウ)の屋敷にいた少女たちと私通していたといいます。
ドラマではそのようなシーンは描かれていません。ドラマのキム・ヤクソン像とあまりにもかけ離れてしまうので、描かれなかったのでしょう。
それに加え、史実では金若先が少女と私通したことに対して妻が嫉妬したとあります。ドラマでは、全体を通して、妻のソンイが嫉妬するような素振りは全くありませんでしたね。
ちなみに、「ソンイ」という名前はドラマの中で付けられたもので、実際には名前は伝わっていません。
妻と奴隷の私通
ドラマでは、ソンイが金俊(キム・ジュン)を愛するという展開でしたが、これは史実ではなくフィクションです。
ただ、金若先(キム・ヤクソン)の妻が奴隷と私通していたことが、『高麗史』に記録されています。
恐らく、ドラマでは、金俊をその奴隷になぞらえたのだと思われます(金俊も奴隷身分の出身であるため)。
妻の密告と金若先の死
ドラマでは、ソンイが金俊(キム・ジュン)を助けるために、夫である金若先(キム・ヤクソン)に謀反の罪を被せて告発しました。
金俊を助けようとしたというのはフィクションですが、妻が金若先を無実の罪で密告したことは事実です(謀反の罪を被せたかは不明)。
この無実の罪によって、金若先が崔瑀(チェ・ウ)から死を賜ったことはドラマと史実で一致しています。
このあとドラマでは、真実を知った崔瑀が、夫を殺した罪でソンイを死罪にしています。
一方、史実では、崔瑀が金若先の妻、すなわち自分の娘を死罪にしたという事実はなく、ただ遠ざけて死ぬまで会わなかったとあります。
このあたりは史実とフィクションが混じっていると言えるでしょう。
参考文献
- 『高麗史』巻101、列伝第14、諸臣、金台瑞
- 『高麗史』巻22、世家第22、高宗12年(1225)3月25日
- 『高麗史』巻88、列伝第1、后妃、元宗后妃順敬太后金氏
- 『高麗史』巻101、列伝第14、諸臣、金若先
- 『高麗史』巻129、列伝第42、叛逆、崔忠献、崔怡
- 『高麗史節要』巻15、高宗2、高宗6年(1219)9月
- 『高麗史節要』巻16、高宗3、高宗22年(1235)6月