宣正王后劉氏
原文
穆宗宣正王后劉氏、宗室弘徳院君圭之女。薨、諡宣正王后、祔穆宗廟。顕宗五年三月、加懿節、後加安献・貞慎、文宗十年十月、加襄堅、高宗四十年十月、加元貞。
書き下し
穆宗宣正王后劉氏、宗室の弘徳院君圭の女なり。薨じて、宣正王后を諡し、穆宗の廟に祔す。顕宗五年三月、懿節を加へ、後に安献・貞慎を加ふ。文宗十年十月、襄堅を加ふ。高宗四十年十月、元貞を加ふ。
現代語訳
穆宗〔の后妃〕宣正王后劉氏は、宗室である弘徳院君王圭の娘である。崩御後、諡号を宣正王后とし、穆宗の廟に祀られた。顕宗5年(1014)3月、〔諡号に〕懿節を加え、のちに安献・貞慎を加えた。文宗10年(1056)10月、〔諡号に〕襄堅を加えた。高宗40年(1253)10月、〔諡号に〕元貞を加えた。
宮人金氏
原文
宮人金氏有寵、号邀石宅宮人。慶州人融大、詐称新羅元聖王遠孫、認良民五百余口為奴婢、以贈金氏及平章韓藺卿、侍郎金諾為援。御史台按問得実、奏請罪之。穆宗命罰金氏銅一百斤、流藺卿・諾于外。聞者皆賀。
書き下し
宮人金氏 寵有りて、邀石宅宮人と号づけらる。慶州の人融大、詐りて新羅元聖王の遠孫と称し、良民五百余口を認めて奴婢と為し、以て金氏及び平章韓藺卿、侍郎金諾に贈りて援けと為す。御史台 按問して実を得て、奏して之を罪することを請ふ。穆宗 命じて金氏に銅一百斤を罰し、藺卿・諾を外に流す。聞く者 皆賀す。
現代語訳
宮人金氏は〔穆宗の〕寵愛を受け、邀石宅宮人と呼ばれた。慶州の人融大が、偽って新羅の元聖王の遠い子孫と自称し、〔勝手に〕良民500余名を奴婢と認定し、〔その奴隷たちを〕宮人金氏及び平章事の韓藺卿、侍郎の金諾に贈って〔彼らを自分の〕後援者とした。御史台が取り調べを実施し、事実が明らかになると、奏上して〔彼らの〕罪を問うように要請した。〔これを受けて〕穆宗は、金氏に対しては銅100斤〔の罰金〕で罰し、韓藺卿と金諾は外地に流刑に処すよう命じた。この知らせを聞いた人々は皆、祝賀した。
原文出典
- 国書刊行会編『高麗史』第3、国書刊行会、1909年、p.5

