韓国ドラマ『千秋太后』で登場したソ・チャルリ。
ドラマでは、遼(契丹)の王女という身分で、蕭太后から高麗に内紛を起こすよう密命を受け、高麗王・成宗(ソンジョン)に側室として嫁いだ人物でした。
劇中では、抜群の美貌を備えながら、さまざまな謀議をめぐらす悪女ぶりが描写されました。
そんなソ・チャルリですが、実在した人物なのでしょうか?
結論としては、ソ・チャルリは実在した人物ですが、「チャルリ」という名前は架空のものです。
歴史書を見ると、ソ・チャルリのモデルとなった人物は確かに存在しているのですが、そこでは「蕭(ソ)」という姓が伝わるだけで、名前は記録されていないからです。
ただし、ここでは、ややこしくなるのを避けるため、彼女のことをそのまま「ソ・チャルリ」と呼ぶことにします。
この記事では、ソ・チャルリをめぐるドラマと史実の違いについて、高麗や遼(契丹)の歴史書に基づいて解説していきます。
ドラマと史実の違い
※以下、ドラマのネタバレ注意です。
ソ・チャルリは公主(王女)だった?
ドラマ『千秋太后』において、ソ・チャルリが初めて登場したのは、34話でした。
遼(契丹)の蕭太后は、高麗に内紛を起こすために、ソ・チャルリを高麗王の成宗(ソンジョン)に嫁がせようとしていました。
このとき、ソ・チャルリは蕭遜寧(ソ・ソンニョン)の娘かつ蕭太后の一族である公主(王女)という身分で登場しました。
ドラマでも描写された通り、蕭遜寧は遼(契丹)の東京留守で、第1次高麗侵攻の総大将を務めた人物でした。
実際、ソ・チャルリは蕭遜寧の娘で、蕭太后の一族だったのでしょうか?
実はこれは簡単には説明することができません。歴史書の記録から考えてみることにしましょう。
高麗の歴史書である『高麗史』、それから遼(契丹)の歴史書である『遼史』には、蕭遜寧の娘が高麗王・成宗(ソンジョン)に嫁ぐことになった、という記録が残されています。
〔成宗が〕左承宣の趙之遴を契丹に遣わして婚姻を要請したところ、〔契丹の皇帝が〕東京留守・駙馬の蕭恒徳(=蕭遜寧)の娘を〔成宗に〕嫁がせることを許した。
『高麗史』巻3、世家第3、成宗14年(995)
高麗王の王治(=成宗)が上表文を奉り、婚姻を要請してきたので、〔契丹の皇帝は〕東京留守・駙馬の蕭恒徳(=蕭遜寧)の娘を王治に嫁がせることを許した。
『遼史』巻13、本紀13、聖宗4、統和14年(995)3月壬寅
上記の『高麗史』と『遼史』の記録によれば、成宗が契丹に婚姻を要請すると、契丹の皇帝が東京留守・駙馬の蕭遜寧の娘を嫁がせることにしたといいます。
「駙馬」とは、皇帝の婿(=娘の夫)のことを意味します。
当時の契丹皇帝は、第6代の聖宗でした。このことを踏まえると、上記の記録からは、二つのことが分かります。
- 蕭遜寧は聖宗の婿(=娘の夫)であった
- 蕭遜寧と聖宗の娘との間に産まれたのがソ・チャルリであった
つまり、これらの記録に従えば、ソ・チャルリは「蕭遜寧の娘であり、聖宗の孫であり、蕭太后のひ孫である」と説明できます。
となると、ソ・チャルリは蕭遜寧の娘かつ蕭太后の一族であり、公主(王女)の身分であったことになりそうです。
ところが、当時、契丹皇帝・聖宗の年齢は24歳に過ぎなかったので、その娘が蕭遜寧と婚姻し、ソ・チャルリを産んだとは到底考えられません。

この記録に従うと、聖宗は24歳で孫を設けたことになってしまいます。
このように考えると、ソ・チャルリは聖宗や蕭太后と血の繋がりはなく、単に蕭遜寧の娘に過ぎなかったと推測されます。
結局、確実なことは分からないのですが、ソ・チャルリは遼(契丹)の公主ではなかった可能性があるのです。
※蕭遜寧が総大将となって高麗を攻めた戦争については、以下の記事で詳しく解説しています。




ソ・チャルリは成宗に嫁いだ?
ドラマでは、ソ・チャルリは成宗(ソンジョン)に側室として嫁ぎましたが、史実ではどうだったでしょうか?
高麗の歴史書である『高麗史』、遼(契丹)の歴史書である『遼史』によれば、実際に蕭遜寧(ソ・ソンニョン)の娘が成宗に嫁ぐことになったという記録が残っています(※本記事、ソ・チャルリは公主(王女)だった?を参照)。
しかし、史実においては、成宗と蕭遜寧の娘(=ソ・チャルリ)の婚姻は実現しませんでした。
なぜ、婚姻は実現しなかったのか。
具体的な理由は分かりませんが、婚姻が決まってから間もなく、成宗が世を去ってしまったことが一つの理由として考えられそうです。
ソ・チャルリは成宗や穆宗に薬を飲ませた?
ドラマでは、ソ・チャルリは高麗に内紛を起こすため、成宗(ソンジョン)に薬を飲ませて中毒にさせました。
さらに、その後、延興宮主と手を組み、穆宗(モクチョン)に対しても薬を飲ませて中毒にさせました。結局、それが発覚して、死を被ることになるわけですが・・・。
しかし、これらの描写は、ドラマのフィクションになります。
史実においては、そもそも成宗と蕭遜寧の娘(=ソ・チャルリ)の婚姻は実現しなかったため、彼女が高麗に行くことはありませんでした。
なので、このような事件が発生することもなかったわけですね。
もちろん、彼女の悲劇的な最期もフィクションになります。



ドラマでの彼女の最期は印象深かったですね。
参考文献
- 『高麗史』巻3、世家第3、成宗14年(995)
- 『遼史』巻13、本紀13、聖宗4、統和14年(995)3月壬寅










