ドラマ『千秋太后』に登場するキム・ウォンスン(金元崇)は実在した人物です。
ドラマでは、成宗の后妃・文和王后(延興宮主)の父であると同時に、貪欲でずる賢い商人として描写されました。
実際にはどのような人物だったのでしょうか?
この記事では、キム・ウォンスンという人物について、高麗の歴史書である『高麗史』に基づいて解説していきます。
記事の後半では、ドラマ『千秋太后』で描かれるキム・ウォンスンと史実との違いも解説しております。
金元崇(キム・ウォンスン)の詳細
金元崇の基本情報
姓名:金元崇(キム・ウォンスン)
出生年:不明
死亡年:不明
最終官職:侍中
家族構成
父:金光義(キム・グァンイ)
母:金氏
配偶者:王氏
娘:文和王后金氏(成宗第2妃)
孫娘:元貞王后金氏(顕宗第1妃)
金元崇(キム・ウォンスン)の生涯
実は、金元崇(キム・ウォンスン)についての記録はとても少なく、その生涯は謎に包まれています。
金元崇の名前が登場するのは、『高麗史』巻88、列伝第1、后妃1、成宗后妃、文和王后金氏伝のみ。
それによれば、金元崇は善州(現在の慶尚北道・亀尾市・善山邑)の出身であり、死後、侍中に追贈された人物であったことがうかがえます。
侍中とは、現在の首相に当たる最高クラスの文官職(位階は従1品)です。
そのような官職を追贈されたことから考えて、金元崇は生前も高官職に就いていた可能性が高いです。
しかし、彼がいつ頃、どのような経緯で朝廷に仕官したのかは知ることができません。
ただ、のちに娘の延興宮主(のちの文和王后)が成宗(高麗6代王)の后妃になることから、金元崇は光宗(第4代王)~景宗(第5代王)代には仕官していたとみられます。
彼の娘である延興宮主が、なぜ成宗の后妃として迎えられたのか。その理由もよく分かっていません。
推測を広げるならば、成宗が政権運営において、慶州系(慶州一帯の非豪族出身者で構成される派閥)を重用したことと関係がありそうです。
というのも、成宗は儒教を基本理念とした政治体制を敷いたのですが、この理念に深く共感したのが、中国をモデルとした儒教的・華風的な政治路線を望む慶州系でした。
つまり、成宗と慶州系は理念が一致していたのです。こういう理由で、成宗は慶州系を重用したわけですね。
金元崇の出身地である善州は、地理的に慶州の近くに位置しています。
出身地が慶州に近いからといって、すなわち金元崇が慶州系であったと言い切ることはできませんが、慶州系に近しい人物であった可能性はあります。
そうであれば、金元崇もまた、成宗によって重用された慶州系の一人であったとみることも不可能ではないでしょう。
結局、推測を巡らせることしかできないのですが、こうした縁もあって、金元崇は成宗によって重用され、その娘は后妃として迎え入れられたのかもしれません。
娘が成宗の后妃となったことで、金元崇の権勢は拡大したことでしょう。
残念ながら、とても記録が少ないため、これ以上のことは分からないのですが、少なくとも、金元崇が成宗の后妃・文和王后の父であり、成宗の時代に大きな権力を有した人物であったことは間違いありません。
※金元崇の記録が残る『高麗史』巻88、列伝第1、后妃1、成宗后妃、文和王后金氏伝は、以下の記事で現代語訳されています。

※高麗6代王・成宗(ソンジョン)については、以下の記事で詳しく解説しています。

ドラマ『千秋太后』と史実の違い(ネタバレ注意)
※以下、ドラマのネタバレ注意です。
商人ではない
ドラマ『千秋太后』では、金元崇(キム・ウォンスン)は商人という設定でしたが、これは事実ではありません。
歴史書には、金元崇が商人であったという記録は存在せず、ただ成宗の后妃・文和王后の父であったことが記されるのみです。
ドラマでは、金元崇は悪賢い商人としての一面を持ち、さまざまな悪事を働いていましたが、これらは全てドラマのフィクションになります。
千秋太后と対立した?
ドラマでは、金元崇(キム・ウォンスン)は千秋太后と対立し、千秋太后を害そうとしたり、失脚させようとしたりしていました。
実際に金元崇がそこまで大胆なことをしたとは考え難いですが、史実においても、金元崇と千秋太后は政治的な敵対関係にあったと考えられます。
というのも、金元崇が慶州系(ドラマでは「新羅系」と呼ばれている)に近しい人物であったとみられる一方で、千秋太后は慶州系と対立する近畿系(ドラマでは「北方系」と呼ばれている)の代表的な人物であったからです。
二つの相容れない派閥に属していたわけですから、両者が政治的に対立していた可能性は高いと言えるでしょう。
ドラマはそのような二人の対立を、フィクションを交えながらやや大げさに描くことで、うまく表現したのだと思われます。
参考文献
- 권순형(クォン・スニョン)「고려 목종대 헌애왕태후의 섭정에 대한 고찰(高麗 穆宗代 献哀王太后の摂政に対する考察)」『史學硏究』89号、2008年、pp.49-86
- 『高麗史』巻88、列伝第1、后妃1、文和王后金氏

